チェンマイ成田思惟 終の棲家は何処になる yajapaのblog

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成田観光その2 東勝寺と佐倉宗吾(宗吾霊堂)

その昔江戸時代に 佐倉藩主の暴政のため、凶作と重税に苦しむ農民を救うため、公津村(今の成田市)の名主の木内惣五郎は、禁じられていた四代将軍徳川家綱への直訴を決行、大勢の農民を救った。命がけだもんね

しかし翌年8月に、木内惣五郎と4人の子供たちは処刑されました。その刑場跡が、現在の東勝寺のある場所といわれている。時代とはいえ子供まで処刑とはなんとも痛ましいね、江戸時代中期になってこの話が芝居になって上演されると、「義民・佐倉宗吾」の名は一気に有名になったそうです。
それからも歌舞伎とか上演されてるよね。